つわりは妊娠初期の妊婦さんの半数以上で起こり、多くの妊婦さんからつわりを抑える薬が望まれている一方で、日本ではまだつわりの薬は承認されていません。
実は海外では既に薬が承認されているのですが、日本ではなぜつわりの薬が開発されないのか、開発者目線から分かりやすく解説をしていこうと思います。
●海外のつわり治療薬の概要と効果
治験業界でかれこれ10年以上働いています。Twitterでのフォロワー数は4,600人程。今回も分かりやすさを重視して解説をしていきます!
つわりで苦しんでいる妊婦さんはとても多い
2018年に雪印ビーンスターク株式会社は二人以上の出産経験がある女性500名を対象につわりに関する調査を実施しました。
その調査では、実に約8割の人がつわりを経験したことがあり、つわりの重さも約6割の人は「とても重かった」、「やや重かった」と回答をしています。
出典:「つわりに関する意識調査」(雪印ビーンスターク株式会社)
また、つわりが始まった時期の平均は約8週で終わった時期の平均が約20週であることから、つわりが継続していた期間は約12週間(約3ヶ月)にも上り、多くの方が長期間つわりの辛さと戦いながら過ごしていることが分かります。
私の妻も入院する程までではなかったものの、つわりはひどい方で毎日のように悪心と嘔吐が続き精神的にも追い込まれている状態でした。
その時に、「つわりの治療薬は無いの…?海外ではあるようだけど何で日本には無いの?」とすがるように言われたのですが、ネット上ではその答えを見つけることが出来なかったようです。
私は製薬メーカーの1人の開発者としての意見を妻にお話したのですが、そこで、もしかすると多くの妊婦さんが妻と同じく「なぜ日本ではつわりの薬が承認されないのか?」という疑問を持っているかもしれないと話されました。
そこで、妻に分かりやすく説明をするためにまとめたものですが、僭越ながら同じように疑問を持っている方にシェアをさせていただきます。
医学的な知識が無くても読めるように難しい医学用語はなるべく控えて分かりやすい解説をしていきますので、少しでもみなさんのためになったら嬉しいです。
海外にはつわりの治療薬がある!
出典:BONJESTA公式HP
米国では、妊婦のつわり治療薬として「BONJESTA」というお薬と「DICLEGIS」というお薬が承認されています。 BONJESTA とDICLEGISは、コハク酸ドキシラミンという抗ヒスタミン製剤とピリドキシン塩酸塩というビタミンB6製剤の配合剤でDuchesnay社によって開発されました(横文字多いですね…)。
1錠あたりコハク酸ドキシラミンとピリドキシン塩酸塩を各20mg含有。
1日目は、1日1回就寝時に1錠を経口投与。
2日目は、効果不十分な場合、朝1錠、就寝時1錠に増量が可能。
最大推奨用量は、1日2錠。
1錠あたりコハク酸ドキシラミンとピリドキシン塩酸塩を各10mg含有。
1日1回就寝時に2錠を経口投与。
効果不十分な場合、朝1錠、午後1錠、就寝2錠に増量が可能。最大推奨用量は、1日4錠。
このお薬の適用は、食事を少量にして複数回に分割することや刺激物を避けるなどの食事療法を行っても改善されない妊婦とされていますが、食事療法だけではつわりが改善しない人も多いと思いますので多くの方が適用の対象となってきます。
これらのお薬を開発したDuchesnay社はカナダにある産婦人科領域が主力の製薬メーカーで日本では塩野義製薬と戦略的事業提携を結んでいます。
では、このつわりの治療薬ですが、有効性と安全性も気になるところですよね。
FDAに公開されているHIGHLIGHTS OF PRESCRIBING INFORMATIONの情報をもとに分かりやすくまとめていきたいと思います。
有効性
このお薬の治験では、有効性をPUQE(Pregnancy Unique-Quantificationof Emesis)スコアというもので評価されました。
PUQEスコアとは、以下の3つの指標を「3(症状なし)~15(最も重度)」にスコアリングしたものになります。
- 1日の嘔吐回数
- 1日の空吐の回数
- 1日の吐き気があるトータル時間
治験ではこのPUQEスコアについて、治験薬投与後15日目にどれだけベースラインから変化したかを有効成分(コハク酸ドキシラミンとピリドキシン塩酸塩)を10mg含有している実薬群と、有効成分が入っていないプラセボ群で調べられました。
ちなみに、治験に協力してくれた方は18歳以上の女性で妊娠7~14週(中央値9週)の256名の妊婦さんだったとのことです。
さて、結果はどうでしょうか。
ベースライン | ベースラインからの変化量 | |
実薬群(N=131) | 9.0点 (9.0±2.1) |
-4.8点 (-4.8±2.7) |
プラセボ群(N=125) | 8.8点 (8.8±2.1) |
-3.9点 (-3.9±2.6) |
ベースライン | ベースラインからの変化量 | |
実薬群 (N=131) |
9.0点 (9.0±2.1) |
-4.8点 (-4.8±2.7) |
プラセボ群 (N=125) |
8.8点 (8.8±2.1) |
-3.9点 (-3.9±2.6) |
実薬群はプラセボ群と比較して有意にPUQEスコアを減少させるという結果でした(p=0.006、-0.7 [-1.2,-0.2 ] )。
効果については、しっかりと確認できているということですね。
このデータですが、よく見ると薬の有効成分が入っていないプラセボ群でもつわりの症状が改善しているのですよね。
プラセボ効果が大きいという事なので、そう考えるとつわりは精神的な要因とも繋がりが深いのかもしれませんね。
安全性
コハク酸ドキシラミンとピリドキシン塩酸塩を各10mg含有する配合剤のグループ(実薬群)と有効成分が入っていないプラセボのグループ(プラセボ群)を比較した試験の結果を見ていきましょう。
実薬群(N=133) | プラセボ群(n=128) | |
Somnolence(傾眠) | 19 例(14.3%) | 15例 (11.7%) |
実薬群 (N=133) |
プラセボ群 (n=128) |
|
Somnolence (傾眠) |
19 例(14.3%) | 15例 (11.7%) |
5%以上の発生頻度で、かつプラセボ群よりも発生頻度が高かった有害事象は「傾眠」のみでした。
つまり、この薬を服用するとウトウト眠くなってしまうということですね。
有効成分が何も入っていないプラセボ群でも11.7%に傾眠があったので、頻度が物凄く高くなるというわけではないのですが、この結果を受けて、BONJESTA とDICLEGISを服用した後には車の運転などは禁止になっています。
また、BONJESTA とDICLEGISの有効成分の1つであるコハク酸ドキシラミンは、母乳に移行して乳児に興奮、易刺激性(イライラ)、鎮静などの影響を及ぼす可能性があるため、お薬を服用している間の授乳はNGとなっています(お子さんがもう1人いる場合などには注意ということですね)。
その他、乳児が無呼吸症や呼吸器症候群の場合には悪化させてしまう恐れがあるため、授乳中の方には使用できないお薬になっているのです。
日本ではなぜ開発しないの?やる気ないの?
さて、ここまでで海外で既に承認されているつわりの治療薬は有効性と安全性が示されていることが分かったかと思いますが、それではなぜ日本ではこの薬を開発しないのかという疑問が残りますよね。
そもそも、「開発する気はあるのか?」というところからかと思います。その辺りについて少しお話をしていきます。
つわり治療薬の必要性は認められている
実は、2013年に日本産科婦人科学会からつわりの治療薬の開発要望が出されています。
厚生労働省の「医療上の必要性の高い未承認薬・適応外薬検討会議での検討結果を受けて開発企業の募集を行った医薬品のリスト」にも実はつわりの治療薬の開発要望がしっかりと掲載されています。
しかし、内容を見てみると…
「開発の意思の申し出があった企業」を見てみると、残念ながら「なし」となっています。
この資料は、令和5年7月31日時点の情報ですので、本記事を執筆しているこの時点でも治験すら開始されていないという状況になります。
もう10年も前から要望を出し続けているのになぜ製薬メーカーは手を挙げようとしないんだと思いますよね…
なぜ製薬メーカーはつわりの治療薬の開発に手を挙げないのか
ここから開発者目線ではどのように考えているのかを少しばかり語っていきたいと思います。
製薬メーカー全体としてや私の所属する会社の意思ではなくあくまで1人の開発者としての意見になります。
さて、つわりの治療薬の開発についての担当直入な印象ですが、やはり私も手を挙げにくいなという印象です。
その理由を簡単にですが書き綴っていきたいと思います。
症例が集まらない
医薬品が承認されるためには治験をおこなって安全性と有効性を科学的に証明する必要があります。
今は以前よりも大分理解がされるようになってきましたが、それでもまだ一部では「治験」に対してネガティブな印象を持たれている方もいます。
私は治験のプロジェクトを管理する立場なのですが、「治験に対してはあまり良い印象が無い」という理由で治験への参加を辞退される患者さんを見てきました。
また、それに加えて日本人の国民性は安全志向が強くリスクを極端に嫌う傾向にあると思っています。
なので、赤ちゃんがお腹にいる状態で治験に協力をしてくれる方がはたしてどれくらい集まるのか…という懸念があります。
恐らく、治験に参加しようという方はかなり少ないと思いますので、被験者数がなかなか集まらず苦戦を強いられるだろうなと予測できます。
訴訟のリスクが高い
1960年代から1970年代にかけて、Bendectinというつわりの治療薬が海外で広く使われていたことがありますが、1983年に催奇形性(薬の影響により胎児に奇形が生じること)の訴訟があり生産が停止となりました。
結局、メタアナリシスという信用度が高い解析方法によって催奇形性は認められないという結論となりましたが、このような訴訟のリスクはどうしても付きまといます。
当然、催奇形性で訴訟が起きればメディアでも大きく取り上げられる可能性が高く、仮に勝訴したとしてもその製薬メーカーに対してマイナスイメージが付くことが想定できるのでなかなかリスクが高いということですね。
参考>>Nausea and vomiting of pregnancy: Treatment and outcome
採算が合わない
被験者が集まらず治験がなかなか進まないと開発コストがかなりかかってしまいます。
そして、治験がやっとの思いで終わっても日本人の安全志向もあってつわりの治療薬を実際に飲む方がどれだけいるのかという懸念があります。
日本は少子高齢化が進んでいるので、妊婦さんの数もどんどんと減ってくる可能性があります(市場規模は縮小する)。
さらに、つわりの治療薬が使われたとしても訴訟のリスクが付きまといます。
企業イメージが下がればその製薬メーカーの他の医薬品の売上にも影響が出る恐れがあります。
…となると、やはり手が出しにくいなぁと思ってしまうのが正直なところなのです。
この記事は妊婦さんも多く読まれているかもしれません。
みなさんは、日本でつわりの治験が始まるといったら参加をしますか?
つわりの治療薬のこれから
製薬会社の臨床開発職としての意見をまとめさせていただきました。
現在の状況としては結構厳しい状況であることをお伝えしましたが、つわりの大変さを考えればやはりつわりの治療薬は必要だと思っています。
では、どうしたらつわりの治療薬の開発が進むのでしょうか?
少子高齢化対策
製薬会社がつわりの治療薬の開発に着手しない(できない)のは、デメリットがメリットを上回ってしまっているからです。
では、メリット(売上の増加)が大きくなれば開発に着手する可能性が高まってきます。
2022年度も過去最低の出生数で子どもの数がどんどん減ってきてしまい少子高齢化が進んでいます。
つまり、その分妊婦さんも減ってきてしまっているということですね。
妊婦さんが減れば当然つわりの治療薬の売上も減ってしまうでしょう。
将来みなさんのお子さんが妊婦さんになった時、あるいはお子さんの奥さんが妊婦さんになった時、つわりで苦しむという方をなんとか減らしたい。
私たち親に出来ることは少子高齢化について本気で対策を考えることなのかもしれません。
自分にできなくても、少子高齢化に取り組む政治家に投票する(選挙に行く)ということだけでも、実は間接的につわりの治療薬の開発に貢献していることになります。
治験に対する悪いイメージの払しょく
治験に対しては一部で、「人体実験」や「高額闇バイト」のような悪いイメージを持たれてしまっています。
治験に対するイメージが悪ければ、当然治験に協力して下さる方が減ってしまうことでしょう。
お薬が日本で使えるようになるためには、日本での治験は避けては通れません。治験で有効性と安全性を確認しなければ、いけません。
私のTwitterやその周りにいる医薬品開発に従事する方のアカウントを見ていただければ分かるのですが、この界隈の人たちは高い倫理観を持ちながら真剣に治験に向き合っています。
私は治験の啓発活動に力を入れて、つわりの治療薬の開発が始まった時に備えておきます。皆さんは治験に対するデマ情報を信じないように正しい情報を知って欲しいと願っています。
治験が正しく認知されれば、今よりももっと治験が進みやすくなってつわりの治験が始まった時もスムーズに治験を終えることができます。
まとめ
色々な事情があって海外では承認されているものの日本では承認されていないつわり治療薬。
今は開発には苦しい状況ですが、実は希望の光もあります。
今の医薬品開発界ではリアルワールドデータというワードがホットな話題になっています。
リアルワールドデータは、日常診療などで得られた診療データのことを指しますが、将来的にはこのデータを使用して医薬品が承認出来ることになるかもしれません。
マイナンバーカードと保険証を紐付けているあれも実はこのようにつわりの治療薬の開発に繋がってくる可能性が大いにあるということです!
現在の王道は、治験をやってそのデータに基づいて医薬品が承認されますが、既に海外でも使用実績がある薬ですので薬事承認のされ方が変わる可能性もあります。
私は家で毎日のように辛そうにしている妻を見てきました。つわりって本当に辛いかと思いますので、なんとか日本でもつわりの治療薬が開発できる環境になることを望んでいます。
最後に…私の奥さんは治療薬が無いので藁をもすがる思いでつわりバンドを使っていたのでその記事をご紹介して締めたいと思います。
よろしければご覧下さい!
雪印ビーンスタークの調査によると、妊娠をしてつわりを経験する人は妊婦さんの実に8割と言われており、その中でも6割の人がつわりの症状が重かったという結果だったようです。 私は2人の子どもを出産しましたが、どちらの時もつわりが重く藁をもすがる思いでつわりバンドを試したので今回はその体験談をお話していきたいと思います。